ちょっとした不幸

「たまにさ、何もない休日、たまたま晴れているときに」

私は彼とは長い付き合いなので、今の台詞が私に向かって呟かれたものと知っている。
彼の会話は唐突に、主語がなく始まることが多い。
付き合いだしたころは「それって私に言っているの?」とよく確認したものだ。
そんなとき、彼は、
「当たり前だろ。他に誰がいるんだ。目の前に君しかいなかったら自分に話しかけている、って思わないの」
と憤慨していたものだ。

なので、今の台詞も漫画を読んでいる私に向かって呟いたものだ。
わかってて私は何も返事をしない。
それもいつものことになっていたので、彼は構わず続ける。

「風が吹いて、西洋たんぽぽとか揺れてる空き地とかみて、世界は明るくて、嫌なこともあるけど、今日はそんなの関係なくて、お腹も減ってなくて、健康で、明日、会社に行くのとか別に平気で」

彼は思考を言葉にするとき、忘れないようにするためか早口になる。
思考がまとまる前に話すので、私には理解できないときがある。

「君との関係もマンネリ化しているけど喧嘩とかしてなくて、こうしてたまに部屋で無言でくつろげて、家族も離れて暮らしているけど元気で……猫のミケは去年、死んだけど悲しみとかもう薄らいでてさ」
「…………」
私は漫画の台詞など追っていなかった。
彼の言葉に耳を傾ける。言いたいことを予想していく。

「たまたま、日本に生まれてさ、テロとか戦争とかなくて、病気でもなくて、災害もあってなくて、仕事もあって友人もいて彼女もいて、休日で晴れてて何も用事なくて、僕は奇跡としかいいようがない、たまたまの上にいるんだなって思ったら」
「……感動した?」
「急に怖くなってきちゃって、ちょっとした不幸待ちするんだ」

予想とは違う答えがかえってきた。
私はふ、と笑った。

「ヘタレなのね」
「それは断じて違う。みんながこの恐怖に気づいていないことがおかしいの」
「じゃあ、私が今からキスしてあげるっていえば、あんたは恐怖で慄くわね」
「え、君からしてくれるの!? やった、キスしてよ!」
「嘘よ」

彼は一緒にソファに座っていた。テレビから視線を外して間近に顔をみてくる。
横は向かず、漫画に視線を戻す。

「してよ」
「しないってば。良かったわね。ちょっとした不幸よ」
「いや、このやり取り自体、平和の象徴すぎて怖い。僕はヘタレかな。やっぱり」
「大丈夫よ。あんたはただの良い奴なだけ。それに比べて彼女の私は、ひねくれ者。そこのところはあんたにとって不幸になるんじゃない?」
「そっか」
「納得するのね」
「うん。安心した」

少しながら失礼な気がしたが私は彼が安心したなら、よしとした。
何もない昼下がり。特にすることないのに、私と彼は他愛もない会話をしながら同じ部屋にいる。

雲が流れて、開けた窓から風が入り、カーテンが揺れている。
今、読んでいる漫画は面白い。

なるほどね。
これは確かに少し、怖いかもしれないわね。

「できれば、僕は君ともっといちゃつきたいなあ」
「また、今度ね。今読んでいる漫画おもしろいし」

彼は拗ねてそれきり何も言わなかった。
私も彼の言わんとしている怖さに気づいてしまった。

だから、ちょっとした「不幸」を今この時に混ぜ込んだのは彼には内緒である。



おわり。
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