彼女は腐っていた。

彼、杉山恵一は桑原直子の視線を常日頃ひしひしと感じていた。

昼休みに食堂で同僚としゃべりながら食べているときも、自販機でコーヒーを買って飲んでいるときも、喫煙室でたばこを吸っているときも、パソコンで入力しているときも、顧客と接客しているときも、ずっと。

――なんなんだろう。自惚れとかじゃなく、こっちを見ているよな?

電話を切って視線をあげると彼女を目があう。桑原直子は視線があったのに気づき軽く会釈をしてきた。
見ていたことを隠さずに対応するとなると、気付いてほしかったのだろうか。
だとしても、声をかけてくれたらいいものを。
こちらから声をかけるのを待っているのだろうか。

そういう計算高い女は面倒だな。

「何、お前らアイコンタクトしてんの?」

同僚の横峰がにやにやしながら問うてきた。ちょっとだけ動揺しながら「視線があったから挨拶しただけだ」と返す。こいつとは新入社員としてこの会社に入ったときから、ずっと一緒だった。
仕事のフォローをお互いにしあう、公私ともに、仲良くしている間柄だ。
しかし、こいつの口の軽さは信用できない面もある。

「桑原直子かー桑原直子なー」
「……なんだ、何か知っているのか」

噂好き(女みたいな奴め)の横峰が意味ありげに呟く。

「んにゃ。この俺でさえ彼女のことを全く知らない」
「なんだそりゃ」
「だってお酒に誘っても滅多に来ないし、話も仕事のことしかしないし、会社の帰りに寄り道している節もない。何も聞こえてこない不思議ちゃんなわけ」
「ふうん」

なるほど。特に目立ったことがない彼女だが、俺にだけは興味を示す。どういうことだ。
声をかけまいと思っていたが考えを変える。



それから、その日も退社時刻が間もなくといった頃合いだ。
向こうから夕日を背景にうつむき加減で、ファイルを抱えた桑原直子が歩いてきた。
誰も通る気配もない。

「桑原さん」
「!」

今、気付いたとばかりに彼女が顔をあげた。目を見開いたその表情は、かわいく見える。別に嫌いじゃない。

「最近、よく目があうけど、俺のことを見てない?」
「あたしがですか?」

ずばり尋ねてみる。思えば仕事以外で話すのは初めてかもしれない。

「今日だけで会釈しあった回数は九回だ。偶然にしては多くないか」
「数えていたんですか」
「まあな」

桑原直子は自分のつま先を見つめる。そして、沈黙してから意を決したように言った。

「あたし、あなたと横峰さんのカップリングが好きなんです!」
「――え」

横峰。横峰。カップリング。ちょっと待て意味不明なんですけど。

「横峰はうちの会社に一人しかおらず、しかも男なんだが、カップリングという言葉はあてはまらないぞ。コンビとかならわかるが」
「やだ、妄想上の産物ですよ。妄想上で杉山さんと横峰さんがラブラブしているところが好きなんです。本当に仲がいいですよね。あたしそういう関係、おいしい……いえ、好きですよ」
「なに、ゲイが好きなの」
「ちがうちがう。ほんものには興味ないんですよ。本当は三次元に興味なんか湧かないと思っていたんですけど、あなたたち二人には萌えます」
「燃える、なにが?」
「萌えっの方ですよ」

にっこり笑う。笑えばやっぱり、ちょっとかわいい。嫌いじゃない。嫌いじゃないが彼女の言っていることが、あまりよくわからない。つまり、オタクだったってことかな。ワンピースとか好きな。

そのとき、退社時刻のチャイムがなった。うちの会社は残業ゼロ日はチャイムが鳴る。
はじかれたように、桑原直子は慌てて歩き出す。

「あ。やばい、入稿の締切が間近で追われているんですよ。お疲れさまでしたー!」
「入稿? なんの?」

質問の答えは返ってこなかった。そのまま桑原直子は、ぱたぱたと廊下を走っていった。
そこへ、にやにやしながら横峰がやってきた。
件の横峰が。

「なーに話していたのかな!」
軽く腕を首にまわしてくる、横峰。なるほど、こういうとこか。
俺は横峰の腕を払いのける。

「節度ある対応を願う」
「は?」

自分の好きなことを話す彼女はイキイキしていた。嫌いじゃない。
そう、俺はさきほどの、意味不明な会話をした後で彼女に惹かれ始めていた。なんだろう。
もっと、知りたい。
桑原が俺と横峰を見て楽しむように、俺は彼女と自分という二人で妄想したい気分だった。

「横峰」
「あ?」
「やばい、俺はたぶん桑原のことを好きになってしまった」
「お。本気か! なら応援するぞ!」

そう言って横峰がまた、俺を抱きしめるしぐさをするので、困ったなあと考える。
まずは、こいつとべたつくのをやめないと、桑原さんは近寄ってこないと思う。物陰からそっと眺めているに違いない。

その位置関係をただすことが先決だった。



おわり。
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まとめtyaiました【彼女は腐っていた。】

彼、杉山恵一は桑原直子の視線を常日頃ひしひしと感じていた。昼休みに食堂で同僚としゃべりながら食べているときも、自販機でコーヒーを買って飲んでいるときも、喫煙室でたばこを吸っているときも、パソコンで入力しているときも、顧客と接客しているときも、ずっと。―...
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