さよならメッセンジャー「さよならの力」

「今ぐらいの時期でしたか」

なんとなく、ふいに仕事が空いた時間に所長がぽつりと言った。
日付は12月31日。大みそかである。
クリスマスのさよならラッシュが終わり、次の山場は年末、正月だが今年はこうして暇なひとときが訪れるということは去年よりは不景気なのだと感じた。
メッセンジャーで頼まずに経費節約で自分から別れを切り出せばいいことの話だ。
そもそも不景気だと彼女や彼氏につぎ込む余裕がなく独り者が増える。独り者が増えればさよなら、は増えない。

所長の言葉にシジマは書類整理から顔をあげた。
今ぐらいの時期。何のことですか、とは尋ね返さなかった。
シジマもそう、考えていたからだ。

重く垂れこめる雪雲。窓の外の風景もあの日に似ていてより一層過去を思い起こさせる。
心が次第に冷えていく――。

○ ○ ○

その日は目がまわるくらいに忙しかった。
電話は鳴っているは、シジマは出かけたきり次から次へと仕事で会社に帰ってこれないは、所長はもうお茶をすすりはじめているは。
一瞬、トキトウは動きをとめた。見ると所長はもう諦めている。
「トキトウさーん。もう依頼はそれ以上受けなくていいよー。うち三人しかいないからねー」
「だって、こんなに電話が! あ、私訪問メッセージ請け負ったので出てきます!」

トキトウは頭の中で依頼内容を確認しながらコートをひっかけた。
依頼主は男性だった。真面目そうな人で、優しそうな風貌ではあった。名前はクロカワ。シラミネという女性に別れを切り出すことに決めたらしい。
別れにはいつだってドラマがあると、トキトウは思っていた。
しかし、別れの言葉は短く何だかクロカワの声から悲壮感や怒り、愛などといった感情は一切読みとれなかった。
シラミネという女性と本当にカップルだったのかも疑わしいほどだ。
遊びの恋だったのかもしれない。
そう思うと少し足が重かった。シラミネという女性がかわいそうだ。

○ ○ ○

「――以上がクロカワ様からのメッセージです」
トキトウは家に上げてもらいメッセージを丁寧に伝えた。やつれたシラミネという女性はじっと何もないところを眺めていた。
顔を上げる。
「彼があたしを捨てれるわけないじゃない……」
「え?」
頭の中で言葉を考える間もなく、シラミネが立ち上がりセーターを脱いだ。いきなり何をするのだろうと目を丸くしてみると彼女の体には見るに堪えない痣だらけであった。
「こんなことをして別れるっていうの? 簡単に? あたしはそれで別れてなんかやらない」
目がぎらついている。涙を流し始めた彼女は、キッチンへ向かうと包丁を握りトキトウを睨んだ。
「あたしが暴力に耐えていたのは彼を愛していたからよ、彼もまたあたしを愛していたからこんな、身体にたくさんの傷を……そうでなかったら、この現実は一体何の意味があるの? あたしがこんなことになる今、この状況に一体、何の意味があったって言うの?」
支離滅裂な言葉をはきながらシラミネは包丁を握ったまま外へと出ていった。
トキトウも焦って彼女を追いかける。
ドアは開きっぱなしで、寒い風が入ってきていた。薄着のまま彼女は彼のところへ飛んでいったらしい。

灰色の空から雪がちらつき始めていた。

○ ○ ○

包丁を持ったまま鬼のような形相で髪を振り乱して走る彼女に通行人が驚き避けていく。
シラミネの足は速い。白い息を吐きながらもトキトウも全力で彼女を追いかけた。
ところが道路の真ん中で彼女はふいに足をとめた。
車がびゅんびゅんと走っている道路の真ん中で、だ。

「シラミネさん……!」

トキトウは走る。横を観ると大きなトラックが走行してくるのが見えた。ライトに照らされた彼女の背中しかトキトウには見えていなかった。
早く彼女をそこからどかさないと。心臓が耳の近くになったようでうるさくも思ったが瞬間、とても静かになった。
とん、とシラミネの背中を両手で押してから、すぐに衝撃を受ける。
宙を飛んでいるときトキトウの頭に、シジマの名前が浮かびあがっていた。

――四十万と書く名字だけど『静寂』もシジマと読むんじゃなかったっけ……。

地面にたたきつけられて彼女は静けさに包まれた。




○ ○ ○


トキトウに助けられたシラミネはその場で放心していたらしい。
シジマが急いで病院に駆け付けたときはすでにトキトウは息をひきとっていた。シジマは行き場のない怒りを感じた。顔に張り付かせた笑顔も強張り眉間のしわが消えなかった。
トキトウが死んでからしばらくは仕事ができなかったくらいだ。
そうでなければ、誰かに八つ当たりをしてしまう。

あれから、時がたち少しは……サービス業ができる人くらいには戻れたとシジマは思う。
本来ならこんな仕事すぐにでも辞めてもおかしくなかった。
けれど、意気消沈したシジマに所長がある日こう言ったのだ。

『ねぇ。シジマ君は魔法みたいな曖昧で抽象的なものを信じてみる気はある? さよならの言葉にはね、少しだけ言霊みたいなのかな。なんか力みたいなものが宿っていてそれを言い続けた人には、ご褒美がもらえるって話』

ご褒美て、と問えば所長は笑みを浮かべて言った。

――本当に欲しい人からの『さよなら』の言葉らしいよ。それってつまりもう一度だけ彼女に会えるんじゃないかな?


おわり。
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