幸せなんてどこにもないのよ

私の母は「お父さん」と呼ばれる人に捨てられたらしい。
私の口にスプーンを持って行きながら母はよく口癖のように「幸せなんてどこにもないのよ」と繰り返した。笑みを浮かべながら言うものだから、幼い私は別に母を不幸な人だとは感じていなかった。
母がそういうのだから、実際そういうものだろうと思っていたし実際、私は母に蝶よ、花よと育てられ苦労なんてしたことはなかった。苦労なんてしたことがないからその言葉の真意などよくわからないままだった。

そう。ほかの子のような生活ではなくすべてを母がしてくれたのだ。
ご飯を食べさすのもお風呂で体を洗うのも服を着替えるのも学校の宿題も……だから、母が過労で倒れたときも私は一人では何もできなかった。
もう年齢は10歳となっていたのに一人でできる範囲がほとんどなかった。私は電話も出ることができなければかけることもできず買い物も行ったこがないし、学校までは母が車で迎えに来ていた。
友達とは遊んではいけないと言われていたので家で本を読んだりゲームをしたりしていた。母はそういうものは何でも買ってくれたのだ。
お菓子をあけて空腹を満たしながらゲームをして待つ。母が帰ってくるのを待つ。けれど母は一向に帰ってこず代わりに違うおじさんが現れた。
その人は知らないおじさんだった。
「おじさん、誰」
「おじさんねぇ。まあ、君からしたらおじさんだけど世間的にはお兄さんだよ、俺は」
おじさんは勝手に靴を脱ぎ床に座り込んだ。ゲームをしたいにの気がちる。
「そのゲームおもしろい?」
「……」
うっとおしいので無視をする。おじさんは、ぼりぼりと頭をかいてから大きなため息をもらした。
「ところで。君のお母さん昨日で亡くなったから」
「――え」
流石に振りむく。その様子がおかしかったのか、おじさんが笑った。
「ようやく、手をとめたか。まあ、そりゃそうだよな」
「わ、私はこれからどうなるの!? 誰が世話をしてくれるの!?」
おじさんは盛大に笑った。手を叩いて。何がそんなにおかしいのか分からずイライラした。
「はははは、あんたの母さんの復讐は成功だな! こりゃいい、ほんもののお姫様だよ!」
おじさんは上着のポケットから封書を出した。それを床に放り投げる。
「読んでみろ。まさか字くらい読めるだろ。あんたの母さんの遺書だ」

私は「いしょ」がなんなのか知らなかったが母さんからの手紙ということで広げてみた。字くらいは読める。

『××へ。
これを読んでいる頃には私はもうこの世にはいないのでしょうね。まあ、時期的には早いような気がするけれど、いつかは来るこの日のことは私は心待ちにしておりました。
どうしてか、わかるかしら。
私はね、××……あなたのお父さんに「子供ができたの」と言ったとたんに捨てられてしまったのよ。あなたが命を私のお腹に宿った瞬間、あの人は私を捨てたの。
あなたを生まないことにしても良かったのだけど、あの人は消息をたってしまったから意味がないと思ってやめたの。あの人は私と私の子供、つまりあなたが怖くなって逃げたのよ。
お父さんはね、家族がほしくなくてむしろ恐ろしいものだって考えていたみたい。おかしい人ね。
でも、私はあの人を愛していた。あの人を憎むことなんてできない。この怒りをどこにぶつけよう。
そう思ったときに私は考えたの。あなたに復讐をしようって。
あなたのせいで私はあの人を失った。
あなたに虐待をしようとかそんなんじゃないのよ。そんなことをしたら私の復讐がばれてしまうでしょう。
まわりが気付かないように、あなたに復讐する。
私はあなたを育てるのをしないことに決めたの。あなたの世話はするけれど他の親のように怒ることをせず一緒に笑うこともせず、あなたが学ぶべきものをすべて私が代わりにした。
あなたは自分が何が好きで何ができて何ができないのか。きっと自分というものがわからないでしょうね。
そういう風に育てたもの。友達もできていないだろうし、作り方もきっと知らないでしょう。
宿題も私が代わりにしたわね。学校の授業はあまり聞かないでいいとも言ったわ。
成績が悪いから先生に呼び出されても私はあなたを叱らなかった。
そうすることであなたに復讐をしていたのよ。
わからなかったでしょうね。あなたの目には私がとてもいい母親に映っていたでしょう。
だとしたら私の復讐は成功したも同然ね。それでいいの。
私が死んだら、あなたはこれからどうなるのかしら。考えただけでも笑いがこみ上げてくる。
それじゃあね。××。私のいとおしい娘』

「お前さんの頭じゃあ、わからないだろう。つまり、あんたは母親に嫌われてたってわけだ。怒る母親がいい親だ。まあ、一概にそうとも限らないが。ともかく今日からあんたは俺が養うことになった」
「嘘だ。全部嘘だ!」
母親に嫌われてたことも、怒る母親がいい親とも、こいつが今日から私の世話をすることも嘘だと思いたい。
おじさんは言った。
「まあ、今はそう言ってたらいいさ。大人になってもう少しマシな考え方をするようになってからもう一度その手紙を見ろ。ちなみに俺はあんたのお父さんの弟だ。引き取りに来たわけだが全く世話はしないからな。自分のことは自分でしろってんだ……あんたの母親は復讐するためにあんたをお姫さまのように養うために過労死した。わかるか? この馬鹿さ加減が」
「おじさんの言ってること、全部わかんないっ、わかんないよおぅ……」
目が痛くなって涙があふれた。泣くってこんなのだっけ。
泣くことなんてなかったからわかんない。全部わからない。
おじさんが私のことをかわいそうな人を見る目で見ていることもわからない。

ふ、と母の口癖がよみがえる。

『幸せなんてどこにもないのよ』




おわり。

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