月が煩いのは貴女のせい。

大きく、真っ白な月がこちらを見下ろしている。
今宵は満月。うっすらと霞みのような雲が帯を敷いている。

月は女性を表すという。
包容力があり、母親のような存在。海にも似ている。
「……ちっ」
俺は舌打ちした。
月の明かりが眩しい。会社からの帰り道を青白く照らしている。
アスファルトが光っており、街灯が消えても家々がわかるくらいだ。
今まで何とも思っていなかった、むしろ好きだった満月だったが最近の俺は煩わしく感じていた。

――最近、月が煩い。

※ ※ ※

会社に中途採用でやってきた女は俺より二歳年上だった。
今時珍しく髪を染めておらず、肩までの髪は真っ直ぐだった。メガネをつけており真面目そうで地味な印象だ。
背が低いため、とても若く見える。化粧っ気のない顔と背丈のせいから年下のようにも思えた。
だが年上らしく女は堂々としており、若い新入社員のように仕事熱心だ。
指導係となった俺は女――名前は木原舞子という―が、素直に「はい、はい」ということをきいてくれるので、次第に好感がもてるようになっていった。

そんな様子を見て面白く思ったお局が「あんたたち付き合っちゃいなよ!」とか言ってきた。
余計なお世話だ。お局女史はいつも「楽しいことないかなあ」とぼやいている。
美容と恋愛しか興味がないのか、というくらい同じ話を繰り返していた。
顔を赤らめた木原は笑って「多野さんが困ってますよー」とはぐらかしていた。
だが、一瞬真面目な顔に切り替わった。
木原舞子は俺を見上げて「多野さん、彼女はいらっしゃらないんですか?」と聞いてきた。
じっと見上げるその顔は好きでも嫌いでもないタイプだ。
「……いないですよ」
木原舞子はそうですか、と言ったきりその時は何も返してこなかった。

※ ※ ※

一人きりのマンションに帰り、俺はビールの缶をあけた。
コンビニで買ったお弁当をレンジでまわしながら、カーテンを開ける。
月が斜め上前方に浮かんでいた。
まだ、いやがったのかと俺は呟いた。
ごくりを缶を傾ける。快晴のせいで、月は我が物顔で夜の街を支配している。

『……は……で……』

月がまた何事か言っている。まるで雑踏の中のように聞き取れない。
たくさんの声を発する月から俺は顔をそむけてカーテンを閉めた。

※ ※ ※

木原舞子とは別に、気軽に話せる後輩社員がいた。
島本里奈は俺より9歳も年下で今時の若い子だった。
明るく染めた長い髪は見るたびに髪型を変えていた。昨日はポニーテール、今日はお団子、明日は三つ編みだろうか。
たれ目がちな瞳に厚ぼったい唇。世間一般的に彼女は「かわいい」部類だった。
自由自在に髪型を変えて表情もくるくる変わる彼女は、社内でも評判の独身女性だった。
だが、俺の部署は他部署とは接点がほとんどない事務系だ。
あと会社の繋がりより自分の時間を確保したい彼女は、社内イベントに滅多に参加しない。
従って、俺は唯一彼女に近い男性社員であった。
そのことに少しながら優越感を感じるが、別に彼女とどうこうなろうとは思わない。
理由は簡単だ。

彼女は明るく性格もいいが、こう見えていかんせん干物女であった。
漫画をこよなく愛する彼女が恋愛などという面倒なものを優先するわけがない。
そのテリトリーを超えて関係を深めようとすれば、島本里奈は一気に距離を開けてしまうだろう。
それはそれで俺の癒しがなくなるので困る。

たまに昼休み屋上でコーヒー飲みながら漫画の話をする。
仕事の愚痴を言う。その程度の関係で俺は満足だった。

「ところで、多野さんは木原さんとどうなっているんですか?」
「どうって?」
いつものように屋上で島本里奈と話していると、急に彼女がそんなことを尋ねて来た。
少し間をあけたのは、まるで意を決するかのように聞いたかのようだ。俺の勘違いだろうか。
「先輩が言ってましたよ。木原さんが多野さんのことかっこいいと言ってたそうです」
「ふうん」
あのお局様は俺をどうしたいのだ。木原とつき合わせても俺は恋愛の話なんてしてやらんぞ。
仮に付き合ったら木原にも口止めしてやる。
彼女が俺のことをかっこいいと言っていたことよりも、周りの詮索の方が気になった。
こうして島本里奈にも噂が行きわたっている事態嬉しくない。
「わ、わたし、多野さんと木原さんってお似合いだと思うんです! 多野さんが興味あるって言っていた、ジグソーパズルも好きだって言ってましたし!」
「あ、そうなの?」
木原舞子がパズル好きだとは知らなかった。
俺はそのとき、ようやくこの会話に興味がわいた。ジグソーパズル好きな女性はめったに会ったことがない。
だが、島本里奈がやけに彼女を勧めてくるのがよくわからん。
「……そういや、聞いたことがなかったけど君の好きな男性のタイプってどんなの」
本当にふ、と気になったので聞いてみた。
島本里奈は驚いた顔になった。
風が吹いて彼女の前髪を揺らす。きらきら光る長い鎖のピアス。先についた石は白いムーンストーン。
「そうですね、3歳か4歳年上の人で家庭的な人がいいです。結婚今すぐしたいですし」
島本里奈は今年21歳。彼女が指定した年齢は俺より当然年下であった。
別にいいんだけど。俺は実は年上好きだし。年下の女は面倒だし。
「……そう。すぐ結婚できるよ。君なら」
素直にそう思った。
島本里奈は困ったように微笑む。

なんだ、その微妙な顔は。

※ ※ ※

「今度、ご飯に行きませんか」

残業になって木原舞子と二人きりになったとき。
彼女からはっきりそう言ってきた。
「俺と?」
お局さんに何か指示をされたのだろうか。
だが、周りに誰もいない。
あまりに久しぶりな展開に俺は不覚にも胸が高鳴った。
木原舞子は日付と時間を設定し俺はうなづいた。お店もおいしい居酒屋を知っているらしく予約してくれるようだ。
嬉しそうに微笑む彼女。木原舞子は本当に仕事を頑張っていて、俺としては応援していきたい。
無下に断ることはしたくないし、嫌いでもないタイプなので断る理由がない。
彼女は俺より年上。独身。結婚願望はあるらしい(お局さん情報)。色々な要素が頭を駆け巡った。

※ ※ ※

何度目かの満月。
最近、曇りが少ない。満月がまた俺をじっと見下ろしている。無言ではなくいくつもの言葉を投げかけている。
俺は聞きたくないので月を見上げない。
けれど微かな声が無数に聞こえてきた。

女。

揺れる瞳。ムーンストーン。メガネの奥の長い睫の奥からじっと静かにこちらをみる目。
美しく派手に施されたネイルが月を指している。

俺はうるさいっと叫んだ。

※ ※ ※

木原舞子との食事は結構楽しかった。
実は、多少緊張していたのだが、気さくな彼女は別に恋愛の雰囲気にもっていくわけでもなく、楽しく食事をして終わった。
次回の約束もしていない。
あっさりした彼女の態度に拍子抜けしたくらいだ。
逆に好感がもてた。
余裕のある態度だ。流石、年上。
だが少し気になったことがある。
会社では新しくプロジェクトが持ち上がっており、俺はそのメンバーに加わっていた。実はけっこう仕事のできる後輩、島本里奈も入っている。
木原舞子は滅多に文句を言わないのだが、島本里奈がそのメンバーであるのは役不足ではないかと言っていた。
俺は別にそうは思わなかった。
その様子が少し嫉妬をはらんでいるような気がした。

※ ※ ※

月が段々、はっきりと聞こえるように声を発するようになっていった。

『木原舞子のあれは嫉妬だ。そうじゃないのか。お前が煮え切らない態度をとっているからだ。島本里奈のあの表情はやせ我慢だ。彼女が自分の感情をみせないことはお前がよく知っているだろう』

月は女の声で俺を罵倒する。俺の心の内を反映している。知っていた。
ずっとぐるぐる考えていることを月のせいにしていた。
うるさい。黙れと俺は考えることを拒否していた。
三角関係とかドラマじゃあるまいし。ていうか俺の妄想かもしれないし。

木原舞子だって別にそこまで俺に興味があるのか、よくわからないし。次の食事の約束も付き合おうとも言われてない。
俺みたいな人間がもてるわけがない。
仕事だって忙しくなるし、恋愛のことなんて片手間でいいだろ。

『言訳がましいやつ』
「……知ってるよ」

俺はビールを飲み干した。
月はきっとしばらくうるさいに違いない。好きってなんだ。恋ってなんだ。どうしたら恋なんだ。
数学の「証明」のように俺を導いてくれる法則があればいいのに。
プログラムのよういEnterを押せば答えが出たらいいのに。
俺はこの年になって痛がりの怖がりのヘタレだからな。

月が煩いのも無理はない。


おわり。
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