泥のように眠りたい

錆びて今にも崩れ落ちそうな鉄筋の階段を重い足取りで上る。
一歩踏むごとに、ぎしぎしと音をたて大きく揺れた。

アパートのドアを開ける。
暗い室内。

そのまま寝室へ向かう。
いつも、仕事が終わって思うのは泥のように眠りたいということだ。だが、仕事での残像が思考を埋め尽くし静寂がうるさく感じる。
――仕事・・・・・・殺し屋を生業とする彼はここ数年、深い眠りをとることができないでいる。

重苦しいコートを床に脱ぎ、そのままベッドに倒れこむ。
 今日の女の目が頭をちらついて離れなかった。依頼人は若い男で女が自分を愛してくれないから殺してくれと頼んできた。依頼人は殺す理由を聞かずとも自ら恨みつらみを話し出す。
 もっとも、自分はそれを直接は聞いていない。フリーの殺し屋ではないからだ。
 本部から必要な情報をもらい殺しに行く。本当はその背景など、どうでもいいのに本部から派遣される男は悪趣味なのか、いつも依頼人がなぜ、対象者を殺したがるのか理由まで言って聞かせる。

(あたしは、まだ生きたいっ・・・・・・あいつ、あいつが、言ったんでしょ! 助けて、まだ死にたく、)

死にたくない。事切れる瞬間までその瞳がこちらを睨みつけながら訴えかけていた。

そんな目を見ても、何も感じない。そう、自覚しているのに迷いが生じる。
何に迷っているのか、わからないでいる。
頭の中で、今日の女。本部から派遣される男のにやけた笑み。今まで殺してきた数々の顔が浮かんでは消えていく。吐き気がする。

頭痛がする。何も考えずに眠りたい。静寂が眠りを妨げている。うるさい、みんな黙ってくれ!

「眠れないの?」

ドアから光が漏れ少女が現れる。少女の存在を忘れていた。冷や汗をかきながら彼女を見る。
 少女は暗い部屋へと入ってきて硬いベッドに腰掛ける。
 少女が来てから止まない声が止んだ。

彼は少女を抱きしめる。女性は、体温が低い。子どもは体温が高い。
彼女は・・・・・・ぬるい気がした。
びっくりしたようだが、やがて背中に細い腕をまわした。

「あたしも眠れないときがある。そんなときは、ぬいぐるみを抱いて眠るよ。抱いてくれる人もいなかったし。あの家では、あたし独りだったの」

思い出す。前、殺した奴は離婚したあと違う女を囲っており子どもを放っていたらしい。
分かっている、これは傷の舐めあいなのかもしれない。

「おやすみ」

彼女はそう小さく呟いた。
少女を抱きしめたまま両目を閉じる。

――久しぶりに彼は夢も見ないほど深い眠りにつくことができた。
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