臆病な開拓者。

好きの定義ってなんだろう。
私は少女漫画の主人公のような問題にぶち当たっていた。
みんな他人とぶつかり合うことで強くなっていき、失恋し、泣いて、色々あって割愛、結婚。
私は仕事中もそんな思春期のような事ばかり考えている。もう三十路は超えており、子供を産むなら迷っている暇などない。
素早く恋して、その次のステージに立っていなければならない。
この、なければならないが呪縛のような気がする。
新入社員のマイちゃんが先日行った食事会という名の合コンに対する愚痴をこぼしている。
彼女持ちが何名か混じってて、フリーの子はタイプじゃなく、選べなかったらしい。
誰かが、コピー機のトナーが切れたと喚いている。あ、美魔女の京子さん。
いい香りがする彼女。子持ちだけど、儚げで妖艶だ。子持ちになれば、所帯じみたやつになるというのは偏見になる。
でも、最初京子さんに大きな男の子がいると聞いて驚いたものだ。
悶々とするのは、きっと何処かで妬んでるからだ。周りがまっすぐ自分を貫いて生きてるからだ。
相手を選ぶことのできる自信。
母であり、女でありつづける姿勢。
持ってないなぁ、そういうの。
何かを手にすることは、恋愛の先にあるという信仰を捨てたい。
少女漫画の読みすぎだ。一人の男性が人生を変えるんじゃなくて、自分が切り開くべきものなのに。開拓者は私。
不毛の大地を耕す。
非力なこの手で。この手で?
手を握ろうとしたんだよね、と確認できないまま、別れた。付き合ってもない男性にそれを確認することは恥ずかしいこのだと思えた。
彼と知り合ったのは、他でもない整骨院という色気もない病院でのことだった。
そこの整骨院は何名か施術スタッフがいる。そのうちの一人が、彼だった。
私の苗字は川田。近所のスーパーでキムチ見てるときに後ろから川田さん? と呼ばれた。
そらから病院とスーパーで会ったら話をするようになった。
でも私は好きの境界線がわからず、プライベートなことは聞けずにいた。
そんなとき、ドラマめいた展開になった。花火があがる中、たまたま人混みの中会ったのだ。
私は女の子と待ち合わせており向かう途中。彼も男友達と待ち合わせしているとのことだった。お互い寂しいですな、とかいいながらうすら闇を歩く。
とても近い距離。人混みでゆっくりしか進めない。手は触れそう。
掠める指はわざとだったのだろうか。
聞けずに、指が当たらぬよう間をあけて歩いた。今思えば、これが分かれ目だったのかもしれない。
私は昔両思いだと思っていた男の子が、川田みたいな変わったやつ、論外だ! と友達に冷やかされて話していたのを聞いたことがある。
中学生でそれを聞いて、勘違いはやめよう、舞い上がるな自分と言い聞かせてきた。
この人、私のこと好きなのかなという直感は当てにしてこなかった。過剰な防衛本能は私を弱くさせた。周りの女の子が他人とぶつかり稽古してる中、あったかいとこから眺めてた。
この年まで。
それでも、最近気になる人ができた。
その人は毒舌だ。
私の私生活に土足で入ってくる。
この前も残業してたら、そんなだから彼氏いないんだ、あんた。他の女みたいに仕事残して帰れ、え、いないよね? 今までいたことある?
とか言われた。
いますいますと嘘ついた。俺と部長だったらどっち付き合う?
とか面倒な展開になり、はぐらかすと拗ねた。部署のみんなでラーメン行こうと誘われた。
それの連絡のために携帯の番号交換した。
すると頻繁に電話かかってくるようになり、周りが盛り上げ、ラーメン店には私と彼だけだった。
嫌そうではなく、楽しそうに話して終わり。
まだ、好きになるわけがない。
次の誘いはない。
ラーメン食べるだけなら、友達。
同僚。
手をつなぎそうになったのが恋で、きっとこれは違う。
あれから電話はない。
また、私は分かれ目にいるのだろうか。判断するデータがなくて途方にくれる。
経験値がないから開拓に出れず、動けない。
相当な修行編スタートかな。
でもさ、傷ついて強くなったら、立派な開拓者。未開の地て強く、独りで生きられる。
独りで、か。
考えただけで、ぞっとした。
新入社員のマイちゃんがふんわりした笑顔で、眉間にしわすごいですよ?とかわいく微笑んだ。
おわり。
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あいのかたち

私は“先生”の一太刀で派手にスっ転んだ。
先生が持っているのは真剣ではない。
ただの棒切れなので私は横腹に激しい痛みを食らっただけですんだ。

だけですんだ、というのは表面上のことで死ぬほど痛い。

「先生、もう少しお手柔らかにできませんか……」
しばらく呻いたあとに私は声をしぼりだした。
私がいる傭兵部隊は戦争孤児である子を見かけては拾って養っている。
養う、というより部隊の人数を増やしている。
私もそんな中のひとりであった。十五歳で親を亡くし、さまよっているところを先生に拾われた。
お腹が減って意識が朦朧としていたときに助けてくださったのだ。
倒れた私に差し出した手を今でも覚えている。

私は女の子にも平等に剣を教える先生を尊敬してはいるものの、少し厳しすぎるとも思っていた。
滅多に笑わない先生は暗い表情をしており、冗談が全くきかない。
だから、指導中に転んだ私をもちろん助けおこすことなんてしない。
立ち上がるまで、じっと見ていた。

「甘えるな、って言うんでしょ。でも、親を亡くしてから私は愛に飢えているんです」
「よくまわる口ですね。元気じゃないですか」
呆れたように先生。
頬の皺が一層濃くなった気がする。

私は仕方なく立ち上がる。
そして、剣を構えた。
勢いよく声を出して先生に立ち向かっていき、正面から剣を振り下ろす。
さらりとそれを交わす先生は丸空きになった私の背中に棒を容赦なく打ち込んだ。

「あっ、いったっっ……!!」

またもや派手に転んで泣きそうになる。
先生はまた大きくため息をついた。

「正面から行って私が避けないわけがないでしょう。何度注意すればわかるんです」
「飽きてます、疲れました、体中ぼろぼろです、お腹減りました」
「練習に飽きたも何もないです。あなたの命を守るすべです。これが私の優しさだといくら言えばわかるんですか」
「うっ……」
「泣き真似をしたら私はあなたを見離します」
「ぐ」

私は出かかった涙を呑みこんだ。嘘泣きだけど半分本気で泣きそうにはなった。
本当に体中、辛い。
先日、嵐の中森で別部隊と戦うことになったのが尾をひいている。
私は誰も倒せず、足をひっぱらないようにひたすら走っただけだったけど、あの日は本当に怖かった。
怖くて、不安だった。
不安だったのことを気付いたから、先生は指導に熱が入ったのだと思う。
うん、わかっている。
先生は私のことを思っているし、これはこの人なりの愛なのだ。
私が考える形と違うだけ。理想と違うだけ。

「先生」
「なんですか。続きをしますか」
「好きです」
「…………」

あ。しまった。
と思ったときには後の祭りだった。疲れすぎて無意識に言葉が出てしまった。
私は転んで地面を向いたまま呟いたので先生の顔は見えない。
けど沈黙が痛い。
やだな、一撃が飛んでくるな。冷ややかな目で蔑むんだろうな。
恐る恐る顔を伺う。

――先生は口を押えて顔を赤くしていた。

「うそ……」

その顔は不意打ちでしょ。すっごい年上のくせに反則だわ。
私もつられて顔が赤くなっていった。
先生は突然の告白に弱いことがわかった。だめだ、かわいい。
先生、大好きかもしれない。

「疲れましたね、しばらく休憩を挟みましょうか……」
「いえ、やります! ご指導お願い致します!」

バネのように飛び起きて剣を構える。習ったように基本の足の並び、剣の構えに戻す。
この人に愛を返すには剣の上達しかない。
私はこの時、強くそう思った。



おわり。




二番目に好きな人

私が今、一番好きな人は「小笠原さん」だった。
背が高くて、おしゃれで、黒縁メガネがよく似合っていて落ち着いた大人の男性。
職業は歯医者さん。
友人の紹介で知り合ったのだけど、出会った瞬間にこの人を逃したくないって思った。
それはもうヒトメボレというものだ。
ヒトメボレは主に最初の印象で決まるのだけど、彼をよく知るにあたって更に好きになった。
何より私をいっぱしの女性扱いしてくれたのは彼が初めてだったからだ。彼は誰にでもそうする人なのはよくわかっている。
けど、お店に入るときドアを先に開けて待っていてくれるとか、重いものを持ったとき持つよ、と言ってくれるところか、一緒に出掛けたら歩幅を合わせてくれるとか、そういった紳士的な人の免疫がなかった私はころりと小笠原さんに転んでしまった。

定期的に行われる二人だけの女子会。
私の友人「なおこ」によると、そういうのは大人の男性なら結構当たり前で、できるからといってそう簡単に信用していはいけないということだった。
「でもさー、私は早く結婚したいし……」
私はなおこに「いい人だね」と言ってもらえることを期待していた。
今まで、お付き合いした人でなおこに「OK」サインをもらった試しがない。そして、その判断通り、私はいつも良くない男性と縁ができてしまうのだった。
「あのねえ、あんたのそういう結婚したら幸せになれるかもしれない症候群はなんとかした方がいいよ。てっとり早く結婚しても次の悩みが生まれるだけなんだから。ま、悩みのない人生なんてものはあるわけがないのだけど」
「だったら、小笠原さんと一緒に人生の荒波を乗り越えたい」
「相手はどういう態度なの。付き合っているんだっけ」
「たまーに食事に行くだけだよ」
「え?」
「月に一回、あるかないかだけ。今はまだね」
「……なんていうか、十代ならまだしもあんたの年齢でそれは付き合う以前に知人でしかないよ」
「そうなの? 付き合う手前じゃないの?」
「付き合っている妄想ご苦労様。ていうか、そのイケメンで歯医者が彼女もいないで今まで独身なのは何かおかしいわよ」
「バツイチでもなんでもいいよ。私は受け止める」
「はー。好きにすれば?」
「なおこは慎重すぎるんじゃないかな。婚活イベントは参加するのに、そういう身近な人には目もくれないよね」
「婚活には現実を見ている人しか来てないからいいの。周りにいるのは、まだ遊んでいたいだの、結婚に興味ないだの、そういう人たちばかりだもの。少なくとも騙される率は減る」
「疑い深いなあ」
「あんたはもう少し男を疑え」
「なおこもとりあえず結婚したい症候群なんじゃないの」
「違うわよ。私は現実を見ているもの。日常にドラマのような出会いは本当にないの、皆無なの。慎重に慎重を重ねて婚活から探しているだけよ。繰り返せばいつかは見つかるわ。いい、あんたの探し方はあてずっぽうなの」

なおこは呆れたように、そう言ってアイスコーヒーに口つけた。
女子会でよく来る喫茶店。ここのメニューはもう知り尽くしている。
なおこは時計を見て、すくっと立ち上がった。
「じゃ。私は婚活イベント『ここ掘れイモ掘れあんたに惚れた』に参加してくるから。あんたの予約はキャンセルしてあるからね」
「本当にそこに出会いがあるのだろうか……」
地元はさつまいもの名産である。地元婚活イベント。知り合いとバッティングしそうだ。
なおこは前回、高校の部活で科学部後輩、通称「スポック君」と再会。
(※スポック君とはスタートレックシリーズに出てくるキャラクターだ。彼はそのキャラによく似ていた)
お互い、全くタイプではないため、そこに再会ラブは発生しなかったらしい。

今日は夜から小笠原さんと食事に行く約束をしている。
時間になると少し遅れて彼がやってきた。
車から降りて、笑顔で「遅れてごめんね」と言った。
「いいの」
私はいつも小笠原さんと五秒と目をあわせていることができない。
心臓が大きく脈打つ状態をずっと継続するため、体に悪いかもしれない。でもそれで体調を崩しても後悔しない。
小さなフランス料理店。そこまでかしこまったお店ではないため、ラフな格好でもすぐになじめた。
ゆったりとした曲が流れており、雰囲気はある。
お店の雰囲気はいいのだけど、小笠原さんの正面に座るとまるで面接を受けているかのように緊張した。
普通の会話が全くおもいつかない。
本来、私はおしゃべりな方だけど、彼相手だとこうもうまくいかない。
沈黙が好きではないために、彼が話をしてほしいのだけど、彼はおしゃべりな方ではない。
「嫌いな食べ物とかあるの?」
小笠原さんに尋ねられて、ごくんと甘く煮てある人参を飲み込んだ。
「ないです」
「ふうん」
それきり会話が切れる。何か話さないと。何か話さないと。私は半ばパニック状態で「お、小笠原さんに出会う前に付き合っていた人がいたんです」とネタを振った。
なおこによると、今好きな人に別の男性の話をしてはいけないらしい。
しまった、と思ったけど小笠原さんが「どんな人だったの」と聞いてきた。
仕方ないので、私は口元をふいて話すことにした。

「あのですね、普段は優しいんですけど、ときたますごく細かい小言を言うんです。待ち合わせに少し遅れるなら絶対に連絡を入れること、人として当たり前でしょ、って。五分すぎただけだったんですけど心配したとかいうんです。あと、その人は洋楽しか興味ないんですけど、普通のJPOPとか知らない話をしないでほしいとも言われました。歌に限らず興味のないことは聞きたくないって言うんです。あと私は人の目を見て話すのが苦手なんですけど、その人は絶対目を見て話してほしいと言ってきました」
「そうなんだ。あまり目をみない人だなとは思ったけど」
「ごめんなさい。好きな人だと特にそうなんです」
「そう」
目を見て話さない=好きな人、と言ってしまうと、今私は小笠原さんに告白したも同然な気がした。
しばらく沈黙がおりた。
「僕もそうだよ。気があうね」
小笠原さんがそういって微笑んだ。
私はそのとき、顔をゆっくりあげた。胸がひや、っとした。
彼はいつだって私とよく目をあわせて話している。つまり。
「そうなんですね。友達とは目を見て話せるのにね」
「気軽だからね。君とも何も考えずに向き合えるから楽しいよ」

なおこの言葉が頭に響いた。これは俗にいう「知人」扱いだ。
それからの会話は本当に当たり障りのない会話だった。そしていつも通り、また会う約束をせずに別れた。

帰り道。
コンビニによって、温かい飲み物とおでんを買った。
隅の方にある食事スペースに腰かけておでんを無言で食べる。このまま家に帰るより頭の整理をしたいと思った。
小笠原さんは本当に好きだった。何を着ていこうか毎回悩んで悩んで新しい服も新調した。
化粧も新しいものにチャレンジしたし、ダイエットもすこしだけした。そういう自分が好きになれそうだった。
けど、それももう意味はない。告白してないのに見事玉砕したも等しい。
なおこの言うとおり脈なしが確信に変わった。それだけだ。

「マジか。芋ほり行けばよかった?」
「そこにいるのは斉藤ゆかりさんですか」
名前を呼ばれて私は振り向く。私の名前は今更だけど「斉藤ゆかり」といった。
「スポック君?! あなた神出鬼没だな!」
「……数年ぶりの再会なのに、相変わらず元気そうで何よりです」
なおこと私はスポック君とよく科学の実験をして爆発を起こしていた仲だ。すごく充実していた。
懐かしくて目を細める。
「おでん、おいしそうですね」
「でしょ。食べる? まあ、ここすわりなよ」
全く気を使わない相手なので、遠慮なく彼を横に座らせる。少し嫌そうな顔をしたような気がしたが彼は失礼します、といって座った。
「なおこから聞いたよ。婚活しているんだってね」
「親が心配しだしたもので」
「なおこはダメなの?」
「ダメも何もあちらは全くその気がないですよね」
「流石、スポック君! 心が読めるのね」
「何度も言ってますけど、僕はそのシリーズみたことがないです」
「いいの、いいの。ショックうけるから」
「受けるようなキャラなんですか。だったらそのあだ名やめてください。ていうか二人しかそう呼んでなかったですよね」
相変わらず冷静なツッコミだ。私となおこはこのやりとりが好きだった。
「ショックといえば、私も今日は辛いことがあってだねー」
昔からスポック君には目をみて話せた。気を使ってないといえばおかしいのだけど、彼はどんな状態でも受け止めてくれそうだったからだ。自己嫌悪に陥ったとき、感情的になったとき、彼は後輩のくせに冷静なアドバイスをくれた。
実はそれもスポック君と呼びたい所以なのである。
「スポック君なら目をみて素直に背伸びせずに話せるのにね。心臓も落ち着いているし。私、小笠原さんだと呼吸も忘れそうになるの。ゲップとか絶対できないんだから」
「だったら最初から結婚なんて無理ですよね。僕が恋愛コラムを読んだところによると人は一番好きな人より二番目に好きな人と一緒になると幸せになれるそうです」
「あー、それわかるかも。だって、一番好きな人って失うのが怖いから依存的になるし、気を使うし、疲弊度がハンパない」
「でしょ。だから、僕と斉藤さんみたいなのが一番なんです」
「なるほどね。ないわ」
笑って、スポック君の背中を叩く。彼はむせた。
それから懐かしい話や近況報告をして、コンビニで一時間くらい話していた。
話そうと思えばもっとおしゃべりできそうだったけど、コンビニは居づらいのでそろそろ席を立つことにした。
彼は去り際にさっと、メモを渡してきた。
「これは僕の携帯の番号です。辛いことがあったら相談にのります」
「ありがとう。持つべきものは後輩だね」
遠慮なく受け取る。
辺りは暗くなっていた。明るいコンビニの明かりが二人を照らす。スポック君は体つきが昔よりがたいが良くなっていた。
背も伸びたかもしれない。
手を振って、反対の方へ歩み始めた私の手を彼がとった。
「なに?」
顔が近い。流石に、こんな近くで目があうとドキッとした。一瞬だけ。
彼はいつも通り冗談を言うでもなく真面目な顔で言った。
「高校の頃、僕は斉藤さんが一番好きでした。今もそうです。だから話しているだけで緊張しました……やっぱり一番好きな人と一緒になりたいです」
「あなたは私の中では二番目でもないわよ」
「何番目ですか」
「わからない」
がっくりしたように彼がうなだれる。私は少しいじわるをしたような気になって言い直した。
「また電話するから」

感情を滅多にあらわさないスポック君が目にみえて表情を輝かやかせた。
どう考えても爆発しない実験をいかに爆発にもっていくか悪巧みをするなおこの隣りにあった顔。
彼は真面目だったのに先輩二人によって少々、遊び心をもつようになった。
「絶対にください」
大声で言う彼に片手をあげて返事をする。小笠原さんとはもう会わない。そんな事実なんかどうでもよくなっていた。
思えば。ドキドキの裏に少しばかりの憂鬱をはらんでいたことを思い出した。
体調が悪くても彼に会うことは断れない。
肌が荒れててもなんとかごまかして変化していく。
会いたいけど、会いたくない。

――そんな気持ちから解放された私の足取りはとても軽やかであった。



おわり。

迷ったときは楽しい方を。

私はうちの部長と不倫関係にある。
それは今のところ(たぶん)周囲にはばれていない。
不倫が美学なんてことは言わない。けれど、罪の意識なんてものは私にはない。別に週に一度喫茶店でお話をして帰るだけの関係だからだ。不倫、なんて言葉を使うと大げさかもしれない。
でも、私が今一番愛しているのは彼だし、彼もまた妻ではなく私を一番――とは言ってくれてないけど、私の前では笑うことが多い。はず、たぶん。

部長は40代で、細身の高身長。
眼が鋭く、仕事に関してはとても厳しい。奥さんとの間には子供はおらず、いつだって仕事の話しか会社ではしない。
人生のほとんどを仕事に捧げてきた人なのだ。
たばこを吸うので、喫茶店ではいつも喫煙スペースを選ぶ。

そして私はというと、派遣で同じ会社に入っただけの二十代の小娘だ。
接点は本当に些細なことだった。

私は前の職場を派遣切りにあって、自分の何がいけなかったのだろうと考えていた。
本屋によって自己啓発本やビジネス書を立ち読みしていた。
そこに書かれていたのは、

常に笑顔で、あいさつは自分から、残業はしないようにする、朝のうちに今日の仕事の配分を決める、人の悪口を言わずいいところを見つけるようにしよう、謙虚に過ごそう、など書かれていた。
かと思いきや、いい人は損をすると謳っている本もあり、わけがわからなくなった。
本を戸棚に戻そうとしたら、違う本を取ろうとする部長と目があった。

その時は、一礼だけして私はすぐに占い雑誌コーナーへといったん足を運んだ。
自分で考えるのが嫌になったら、占いに頼る。
仕事がうまくいかないのは運勢が悪いせいに違いないと思ったのだ。
雑誌をいくつか流し読みしていると、やはり案の定悪いことが書かれた。
私は基本的に悪い占いしか信じない。いいことばかりが書いてあったら途端に嘘くささを感じてしまうからだ。
それでも占いを信用するのは他人をあまり信頼していないからだと思う。

「で、君が占い本を見てまたビジネス書コーナーに戻ってきて、また占い雑誌コーナーに戻ったときには本当に『大丈夫か、この子』って思ったよ」
部長がおかしそうに笑ってコーヒーカップに静かに口つけた。
長い足を組んで綺麗に磨かれた靴先をゆらゆらと揺らしている。
「こっそり観察していたなんて趣味が悪いですよね」
私はというと、甘ったるいシナモンラテを注文していた。
猫舌なので冷ましながら飲む。
「そのあとすぐに派遣社員としてうちに入ってくることになったときは、俺でも吹いた」
会社では見せないリラックスした笑顔だった。
でも、喫茶店で話すのは仕事の悩みだったりする。私は部長のプライベート情報をほとんど入手できていない。
「ところで、私の後輩……って言っても社員の藤枝君って私のこと嫌ってそうですね」
「ん?」
部長は『藤枝』と聞いて、眉をあげた。
「藤枝慶介です。私より一つ下の。会話するときに目を合わせようとしてくれませんし、いつも遠くにいます」
「あー彼ね。イケメンの部類になるね。で、どうしてそれだけで君のこと嫌いって判断するの?」
「まだあるんですよ、コピー取ろうとしたら藤枝君使ってて後ろで待ってたら、途中なのにどっか行ったんです。明らか、距離をとられたんですよ! 他の女性社員とは楽しそうに笑顔で話してて、大声がこちらまで聞こえてくるんです。わざとですかね。たまに会話することがあったら、仕事の話しかしないんです。他の子とは趣味のテニスの話とかしているのですよ?! 除け者にされているようです……」
私は日頃たまったストレスを部長にぶつけた。
部長からはいつも大人な意見を聞けたので、良いアドバイスを今回ももらえるのではないと期待して言葉を待つ。
すると部長の態度は明らかに悪くなった。
私はくだらないことを話してしまったかと内省した。
部長はいつだってもっと大変な上下社会で生きているのだ。
私なんかの、くだらない悩みを聞かせてはいけなかったのか。そう思った。
「君は、りぼんとかなかよしとか好きだった?」
「へ?」
全くの見当違いな質問に間抜けな声が漏れてしまう。
部長が聞くのだから大事なことだろう。
「はい好きでした。りぼん派でした」
「だろうね。今は読んではないだろうけど、君の頭は今も少女漫画脳だ。藤枝ってやつ、たまにすごく不機嫌そう君に当たることがあるだろう」
「あります、だから嫌いなのかなって――」
「そうなる前後を思い出すんだ。君は他の男性と楽しく話したあとで藤枝と接したはずだ」
私は言われて一番最近の藤枝君が不機嫌だった日のことを思い出した。確かに別の男性社員と仕事のことに関してだが冗談を言い合ったような気がする。
「少女漫画脳はわかりやすく好きだと迫ってくる奴を好むが、現実社会にいる身近な自分に好意を持った男に気づかないことが多い」
「え?」
「気付いたか。そんなわかりやすく好きのサインをする奴は素直すぎるよ。プライドが高いせいで、周りにバレテほしくないから、そんな態度をとる。だが返って当の本人以外はみんな気付いているって始末。俺は嫌いだ」
部長はイラついたようにたばこに火をつけた。
白い煙を斜めに向かってため息まじりに吐く。
この苛立ちは嫉妬だろうか。だったらいいのにな、と言葉にせず考えた。
部長はじっと観察する私の視線に気づいた。
「俺はわかりやすく嫉妬なんかしない。藤枝のこざかしいところが気に食わんだけだ。好きならはっきりとすればいい。そんな奴は仕事でも曖昧な態度をとってしまう」
「なるほど」
なんだ、そっか。と私は納得してがっかりした。
部長の心は小娘の私には全く見えない。この先の関係も見えないし、今の関係さえも全く言葉にしがたいのだ。不倫と思っているのはたぶん私だけかもしれない。
だって占いに書いてあったし。運命の人の特徴は「あなたよりも年下で、プライドが高くて、顔の整った人物」だった。
当たっているなら藤枝君しか思いつかない。
部長がいいのに。部長だったらいいのに。

「占いは、統計学だから」
落ち込みはじめた私の思考をまるで読んだかのように部長が言った。
「本当はこういうこと言いたくないけど。自分に自信を持って自分の頭で考えてみるといい。藤枝のことだって、俺のことだって占いとかに頼らずよく観察して自分の魅力を知れば見えてくるから」
「部長のことは本当によくわかりません」
「だてに君より長く生きてない。少女漫画脳な君に俺が『いつだって俺を頼れ、守ってやるから。俺を信じて』なんて言ったら君は俺の言いなりになりそうだから、あえて何も注文しない」
「……そうですか」

私が動かないとこのステージはずっと喫茶店のままなのだろう。
部長に好きって言っても通じるだろうか。部長は愛を信じていないような気がする。
私にとって「愛」の言葉はすべてなのだけど、部長は理由を求めたがる。
どうして部長のことが好きなのだろう。信頼できるから? 信頼しているなら占いなんて関係ないでしょう? 自信がないから? だからこの胸を絞めつける想いも信頼できない?

「私は部長のこと好き、なのでしょうか」
ふ、と言葉が口から出てしまった。
慌てて口を押えるが出てしまった声は後には戻らない。周囲のざわめきと胸の動悸がうるさい。
顔が真っ赤になっていくのが感じられる。
しまった、と後悔した。
沈黙があったのち、部長の足のゆらゆらが止まった。

足を組みなおす。

「俺は、君のこと好きだよ」
「な」

なんだと?
また私が迷うようなことをいうでしょ、あなたは!
そんな言葉を言って私が混乱しないわけないでしょう。
にやにや笑う彼は本当に楽しそうだった。仕事の疲れが癒されているのがわかったけれど、私はそれを喜ぶ余裕もない。
ただ、ただ、次の言葉が継げないでいた。
少女漫画脳、依存症、占いオタク、何でもいいわ。

私はあの時、本屋に行ったことをとても感謝した。
部長の目にとまったことをとても感謝した。

冷めたシナモンラテを飲む。甘い。とても甘い刺激が舌だけではなく、私の頭の中を満たしていく。
私は今日の運勢を忘れて藤枝君のことも忘れて、不倫とかもちょっとだけ脇に置いて言ってみた。

「今度、人体の不思議展に行きましょう」
「ぶっ?!」

その後、部長が笑いすぎて腹を抱えた姿はまるで私と変わらない若造のようで、新鮮だった。
彼を笑わせることができたのが、とても嬉しい。
人体の不思議展に行ってくれなかったとしても、この喫茶店から進まなかったとしても、占い上結ばれないとしても、今とても幸せなのは事実だ。

もっと、もっとの気持ちを抑えて、私は「今」このひとときを楽しもうと思った。
そういえば、自己啓発本にも書いてあった。

迷ったときは楽しいことをしましょう、と。



おわり。

悪い女

「あなたに私はふさわしくなんかいないわ」
腕をくんで目の前の男にそう宣言した女は、とても身なりが派手だった。
長い背中まである髪は内巻き、体にフィットした真っ赤な色のワンピースの丈はとても短く、長い足先のヒールも服と同じく赤であった。身に付けているアクセサリーは全て男が女に贈ったものだった。
レストランの照明に照らされたそれらが女を更に輝かせる。
「どうして、そんなことを言うんだよ。いったい、俺がいくらあんたに貢いだと思っているんだ」
「ほかのお客さんに迷惑よ。大きな声で騒がないで。贈り物はあたしが欲しいって言ってないわ」
「だったら、どうして指にはめてんだよ、首からぶらさげてんだよ!」
ついに男がテーブルを叩いた。
周りの客は、眉をひそめてこちらをみている。
「店員を呼ぶわよ」
「呼べばいいだろう!」
男は水が入ったグラスを女にかぶせた。
女は、水をかけられても悲鳴をあげなかった。姿勢を崩さす、男をまっすぐに見る。
前髪から雫が落ち、マスカラのついた長い睫に当たった。一度、目を閉じてからゆっくり女は言った。
「気がすんだ? さよなら」
舌打ちして、男が席をたつ。
ひとり残された女にすかさず店員がタオルを持ってきた。
それを受け取って微かに顔を拭いてから、女も席をたつ。
「ごめんなさいね。うるさくして。もう帰るから」


食事代を二人分払って、女は外に出た。
白いものが視界を横切る。
空を見上げると雪が灰色の空から降ってきていた。
冷たい風が女の濡れた髪を揺らした。
雪が混じる風に身を任せながら雑踏を行く。濡れた体に冷たい風は堪える。
それでも暖かな店に入ろうとも、タクシーを呼ぼうともしなかった。
今までの男との思い出に浸る。
贈り物は素直に嬉しかった。だからすぐに身に着けた。でも、それがいくつもバイトをして稼いだお金で買ったものだと知ってから心苦しくなった。男はいつも完璧な身なりをしている女をほめた。
女を着飾るが好きな男だった。服や靴も贈ってくれた。
もういらないと言えば男はきっと愛が冷めたと勘違いするだろう。
言葉にしても伝わらないかもしれない。
それならいっそ、悪い女だった、縁がきれて良かったと思わせるのが一番だ。
女は目頭が熱くなるのを感じていた。
寒いのに、顔が暑い。

白い息に冷たい雪が絡まる。
早く家に帰ってあたたまりたい。けれど、女は「悪い女」なのだからと、雪が降る街をあてもなくさまよう。
心が冷えていくように。それは自分に対して与える小さな罰だ。
体の芯まで冷えて、風邪でもひいてしまえ。

半ばヤケクソ気味に女は思った。
頭の上に雪が少し積もっていく。いい気味だ。
悪い女。




おわり。
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